出産のこと。

改めて出産のこと書くとね。

妊娠が分かった時、「あー、マジか」ってのが最初の感想。
でも、まぁ、もうすぐ30か。
28歳。
産んでも良い歳だなぁ。
30までに1人欲しかったしな。
シングルになるのかな、結婚するのかな、結婚って柄じゃねぇーな、でもやっぱ結婚したほうがいいのかな…
そんな風に逡巡しながらも、スクスク大きくなる我が子。
産むことは産むけどね、結婚なんだよ、問題は。
婚姻届もらってみたけど、書く気持ちは起きず。

はっきりしないまま、10月。
それまでやっていたラジオを引退した。

なんとなくもらった婚姻届を捨てた。
シングルで産もう。
幸い沢山の人に恵まれている。
この町で育てるならば、多分大丈夫だろう。
沢山の愛で
沢山の手で
沢山の笑顔で

時に怒られることもあるだろう。
時にさみしくなることもあるだろう。
泣いている時に抱き上げてくれる手もあるこの町でなら、きっと大丈夫だと思った。
ラジオを通して、この町の優しさや力強さに触れ続けて来た。
だから、わかる。

とかなんとか確信して期待と不安の中、予定日。
生まれないのね。
気配もないのね。
まん丸のお腹。
妊娠線がくっきり。これが痒い。

女川の駅前がオープンした花火を友人達から出産頑張ってねメッセージと共に動画で見る。

歩いたほうが良かったのかな。

そこから予定超過で、検診が一週間に一度。
二度目の年明けの検診の際、「明日とりあえず入院ね」と先生に言われた。
促進剤使って、産ませるという判断。
この時点で妊娠中毒(今は妊娠高血圧という)

血圧は上180をマーク。

一晩泊まり、内診にて破水。
血圧や、喘息の発作などに加え、胎児の大きさで帝王切開の可能性もあったので、翌朝に急遽、日赤病院へ転院。
人生三度目の救急車。
日赤病院に転院し、促進剤投与。
それでもまだまだ生まれる気配も陣痛もないので、とりあえずで抜かれた晩御飯を恨めしく思いつつグーグーなるお腹をさすりながら就寝。
(なんか看護師さんにウチワ渡された。)


朝方なんだかお腹痛いかも。
なんだろな、これが陣痛かね。
とか思ってたら、もはや耐えれないくらい痛くなって来た(*´・ω・`*)

陣痛って、叫ぶ人いるけど私は我慢しようとか思ってた。
しかし現実→「いや、そんなん無理無理。」
絞り出すような悲鳴。
どうしたら楽になるかすら考えられない。

時間なんか分からない、なんせ気絶→陣痛の繰り返し。
血圧もどんどん上がる。

何度目かの診察で、先生に子宮口開かないねと言われ、「いつぐらいに生まれますか?」と聞くと「明日かなぁ」と言われて心折れるw

その様子見て、先生が「赤ちゃん大丈夫だけど、お母さんがダメかもね(血圧)」って事で、会議してくると部屋を出て行く。

幾度かの陣痛を多分乗り越えて、戻って来た先生が

「緊急帝王切開にすることにしたから。縦と横どっちがいい?」と。

縦でも横でもいい!
と言ったらしい(覚えてない)

私のあまりの苦しみ方に付き添いの私の母はひたすら「女の子を産むんじゃなかった」と産後29年経ってつくづく思ったらしい。

その後、手術室に運ばれるも、陣痛のため、ももクロの夏菜子ちゃんバリの海老反り。
(ももクロちゃんにナデナデされるさいじゅのお腹)

海老反りのため局部麻酔は諦めて、全身麻酔へ切り替えて
ストンと眠りに落ちた。

2016年1月9日 pm5時28分
41週と4日でやっと生まれた男の子は3888gのビッグベビーだった。
陣痛が痛いとは聞いて居たけど、いやいやまさかね。
あの、促進剤とかいうの、すごい痛いらしい。と知ったのは後から。
だから促進剤は嫌だねなんて話をチラホラ聞いたのか。

産んでから(取り出されてから?)2時間後、目が覚めて、しばらくしても赤ちゃん来ないからナースコールすると看護師さんが「まだ会ってなかったっけ?」と軽く忘れられてたらしくw
とりあえず息子と初対面(*´ω`*)

新生児はお猿さんのイメージを覆すほどの、しっかりした顔。
さすが、ビッグベビー
産む前は、産んだ直後に胸に抱いて
泣きながら、生命の力強さなどに涙するんだろうと思ったけど、全身麻酔だったもんで、特にそんなこともなく、割とあっさり。
おー、すげぇ!生まれてる!!ってのが感想w

あの陣痛の苦しさが、目が覚めたらスッキリなくなってる方にちょい感動したレベルw
妊娠→出産→子育て 
それからもう、2年が経って、息子も元気いっぱいに2歳児を謳歌している今日この頃。

最近、2人目、早く作りなさいよと言われる。
しかし、2人目は多分無理だろう。
結婚したいか?と聞かれると、やっぱしたいとは思わない。


SAIJYU Days

日々をダラダラ。 子育て日記。 たまにしか書けないけど思い出した時に 少しずつ。

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