彼のこと。

空を不意に仰ぎ見た時、空の高さにハッとする秋。
深深と降る雪の寒さに、体を小さくする冬。
風に髪の毛を遊ばれ、土埃で目の前が霞む春。
うだる暑さの中、活発に動き回る夏。

季節が流れるのは大人になってから随分と早く感じる。
彼が居なくなってから2度目の春。
3回前の春はまだ、居た。
不意に思い出す。
毎日、不意に彼は記憶の中に蘇る。
彼が息子にくれたDAISOの鯉のぼりを今年も玄関にそっと飾る。

最初、彼は家の外の杉の木の洞に鯉のぼりを刺して
「来年また買ってあげる!」と、笑った。

来年は来ないことを、あの日私たちは知らずに笑いあった。
穏やかな時の中で、笑いあった。

時間に追われ、笑うことも出来なくなったこともあった。
イライラしてきつく当たってしまったこともあった。
それでも、彼は「姉さん」と一回りも違う私を、そう呼んだ。
ピリつく空気を、彼は和やかにする天才だった。
細かな気配りは、ひたすら「お母さん」のように。
不安な時のすがり方はまるで弟のように。
そして、私にとって優秀なミキサーだった。
阿吽の呼吸。
私たちのことを読み、先回りした。

そんな彼は42歳で居なくなってしまった。
今も多くの思い出が、頭を支配する。
こんな時、こうだったな。
もし、今もいたらこうだったかな。
彼のお母さんと話すたび、彼の知らない面を私は一つずつ教えてもらう。
そして、彼のお母さんが知らないことを少しずつ共有する。
彼が本当は住むはずだった、あの家で。

2016.1月9日、出産後すぐ、息子を病院に見に来たいと言ったあの日。
管だらけの姿を見せて心配させたくなくて、断った。
退院した1月15日、すぐに会いに来てくれた。

彼のお姉さんから「子供が産まれるってこんな感じなんだね!凄く可愛いんだ」って珍しく興奮して言ってた事があったんだと葬儀の日聞いた。

生きていたら、きっと息子の良い相談相手になり、友達になり、信頼出来る大人になったと思う。
思春期を迎えた時、母親には相談したくない悩みも、聞いてもらえたかもしれない
そうならなかった未来が悔しい。

そして、2017年、息子の一歳の誕生日。
朝、荷物が届いた。
差出人は彼の名前だった。
中を開けると、手紙と息子へのプレゼントが入っていた。
手紙には、「充が生きていたらきっとこうしたかったはずだから」と、そして
「りゅうちゃん、たんじょうび おめでとうっ! モリモリより」と綴ってあった。
プレゼントをくれたのは、彼のお姉さん。
朝から沢山泣いた。

お食い初めにも呼んだし、事あるごとにに一緒にご飯を食べた。
必ず一歳のお誕生日も生きていたら呼んでいた。
息子の誕生日の日まっちと、そして彼の写真を持って撮った。
4人で撮ることに意味があったのだ。


私は今年32歳になった。
あと、10年で彼の年になる。
季節は思ったよりも、早く過ぎる。
大人になったら特に。

SAIJYU Days

日々をダラダラ。 子育て日記。 たまにしか書けないけど思い出した時に 少しずつ。

0コメント

  • 1000 / 1000